瀬上嶋貫本家の先祖は上杉家の家臣であり、上杉と共に、新潟、会津、米沢へと歩んできたと伝えられている。
江戸時代に武士を捨て福島の下飯坂へ移ってきたが、後に現在の瀬上に居をかまえたらしい。
当初、「穀屋」という屋号で金貸業、酒造業、質屋等を営んでいたが、米騒動が頻繁となり、米屋と間違われることを恐れて、「大國屋」と屋号を改めた。
土地を増やしながら、使用人、小作人を使って広大な土地を耕作する大地主となっていくが、戦後の農地開放により多くの土地を失ってしまう。
明治に建てられ、移りゆく歴史の激動を見つづけてきた母屋は、十一代当主によって復元され、現在も当時の趣きを受け継いでいる。
(注)正式には島貫であるが、本家のみ「嶋貫」を使い、分家と区別していた。あくまでも瀬上の嶋貫家一族に限っての通称である。
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